スマホ依存がコミュ症を作るのか。コミュ症だからスマホ依存になるのか。
スマホ依存とコミュニケーションの苦手意識は比例するのではないか。
仕事帰りの電車の中で、ふと思う。
なぜ、そう思ったのか。
僕はコミュケーションの基本とは「観察すること」だと考えているからだ。
と気が付く。
現代人は、目の前にある対象物をじっと観察すること。
それさえままならないのじゃないか?
そう思うのも、スマホという道具の特性にある。
想像してみてほしい。
スマホを見ながら、おびえていたり、怖がったりしている人を。
そんな人見たことありますか?
あるとしても、レアなケースですよね。
何故そうなるかといえば。
スマホで見るのは、自分の好きなもの。
もしくは、暇つぶしで何も感じないもの。
それ以外をみることは少ないからではないかと考えている。
その質と方向性が、コミュニケーション能力の欠如を生んでいるはずなのだ。
というのも。
観察にはエネルギーが必要だからだ。
何故なら、相手との関係は絶えず変化するし、いつも良好とは限らないからだ。
(良好でも、舞い上がってアウトになる時だってある)
どんな時でも、自分を見失わずに観察を続ける。
言い換えれば「ビビらない」ことと、スマホへの依存は正反対のベクトルを向いてる。
じゃあ、スマホを全く使わない生活を遅らせればいいのか?
そんなことは到底出来る訳が無い。
スマホは生活の一部になってしまっている。
では、どうしたらいいのか。
答えはとてもシンプル。
目の前にいる人を大事してください。
恋人でも、家族でも、友人でも。誰でもいい。
あなたが、大事にしたい人を良く見てあげてください。
近道はなく、どろくさい積み重ねの中で少しずつ理解していくしかないものです。
僕自身も。まだまだ学びの最中です。
たまにはスマホを見ずに、ボーっと電車にいる人を観察してみてはいかがでししょうか?
最後に、タイトルに答えると。
僕はスマホ依存がコミュ症を作ると考えます。
というのも。
苦手意識から逃げ続けることが、コミュ症になる大きな要因と考えるからです。
その中でも、スマホという道具が最適な逃げ場になってしまっている。
本を読むほど集中力がいらないうえに。
刺激的なことばかりが、画面に溢れ返っている。
そんな場所がポケットの中にある。
しかも、刺激は次から次へと簡単に調べることが出来てしまう。
そんな輪の中から、自分で抜け出すことは容易ではないだろう。