自分らしさって何だ。
本当の始まりの記事には何を書こうか。風呂に入りながら、考えていた。
初心忘れるべからず。という言葉が頭をよぎった瞬間、書く事が決まった。
「なんでブログを始める気になったのか。そして、始められたのか。だ」
僕は深呼吸をして頭まで湯船に浸かった。そして、思いを巡らせ始める。
一カ月位前のこと。
「増木君の考え方、面白いよ。」とか。
「ブログやってみたら?」と知り合いから言われる事があった。
言われるだけの何かがあるなら、始めてみようかと準備をしだした。
しかし、まったく筆が進まなかった。自分自身の思考が邪魔をしてくる。
「自分にしか書けないこと。そんなものがあると思ってるの?」
ドキっとする。続く思考はこうだ。
「百歩譲ってさ、お前に何が出来るの?」
思えば、この一年近く『自分にしか出来ない事はなんだ』
と、ずっと考え続けてきた。
きっかけは去年の今頃、沢山の人たちと出会いの中で。
「自分が出来ると思っていた事なんて大したことないんだな。」
そんな当たり前の事実を噛みしめたのだった。
気が付いた僕は、心底焦った。
何かしなければと、本を読むようになった。
読んで、変わった事もあったけど、本質は変わらないままだった。
「 いつまでたっても僕は、何者にもなれていない。だから、出来ることを探せ。」
その堂々巡り。結構しんどかった。
そんな思考から、僕を解放してくれたのは。
仲間からの励ましと。(またの機会に記事にしたい)
僕が愛する作家の一人。伊集院静さんの言葉だった。
”情報より、大切なものが人間が成長する時期にはあるだろう。
己が何者であるかを目を見開いて見つめることである。
何者でもないことがわかれば、何者かになるために、やるべきことは山ほどある。
(中略)
苦言を言うが、君たちが何も持たない普通の若者なら、
人の何倍も苦節を経験しなければ、本物の大人の男にはなれないぞ。
本気で憤れ。心底口惜しいと思え。それしか強くなる方法はない。”
ー追いかけるな 大人の流儀5 p177より
背中を力一杯、叩かれた気がした。
大きな手のひらのぬくもりに、伊集院さんの声が続く。
「その気持ちを原動力に動き続けろ。あがき続けろ。」と。
その瞬間、憑きものが落ちた気がした。
実際、動けているのだから。そうなのだろう。
そして、僕がブログを書く理由。それは。
こういう気付きが、誰かのエネルギーになるのではないかと思ったからだ。
あるかもしれないなら、やるだけの価値はある。そう思えるようになった。
沢山の出会いに。
隣にいてくれる皆に。
感謝。