お品書きは「僕のすき」

料理をレシピとして残すように。日々の思いを言葉に。

チキンハートを乗り越えて

タンゴの話よりも書くべき事が見つかったので、そっちに鞍替えすることとする。

「怖さ」をどう乗り超えるのか、について考えてみたい。と思ったのだ。

今まで以上に纏まりの無い文章になってしまうと思うがご容赦願いたい。

 

 

書き終わってからの追記だが。

僕の中に、忘れていた言葉があることを思い出した。

 

それは。

漫画家。藤田和日郎の言葉。

 

”他人に自分の人生を評価させるんじゃねぇ。自分(てめぇ)の人生は自分のものだ…

モノサシの違う他人には絶対はかれねぇ。

自分だけではかって、自分だけで正直に判断するんだ。

うそはナシだぜ。良かったか、ブッチャケ悪かったか。心で答えろ”

月光条例7巻  P157より

 

 

単行本が出たのが、6年前。

今、やっと自分のモノに出来る、きっかけが生まれたと思うと。

それだけで、目元がゆるくなりそうで困った。

 

 

 

僕は、「分からない恐怖症」です。ここでいう分からないとは。

「他人がどう思っているかが、分からない」ことに対しての恐怖と認識してもらえれば大体あっています。

もしくは、こう言い換える事も出来るだろう。

『人からの評価が気になるチキン』

 

今も、まさにビビッている自分がいる。

思った以上の方が僕のブログを見てくれている。ということだ。

ぶっちゃけた言い方をするならば。

「なんで、こんなに伸びてんの!?」と驚いた。

(100回見て貰っただけで、これだのに。続けていくうちに1万とかいったら

どんな事になるのやら・・・)

 

普通なら、見てくれた人に感謝の気持ちをもって、

より頑張ろうと筆を進めることだろう。

勿論、その気持ちが無い訳ではない。むしろ、めちゃくちゃ嬉しいです。

でも、同時に怖くなる。

 

どうして、見てくれてるんだろうか?

今と同じ様に、読んでくれる人が良いって思える記事が書けるのか?

そもそも、書き続けるとか言ったけど。出来るのだろうか?

 

思考がばらけると、人は集中出来なくなるものです。

筆のスピードが明らかに落ちていった。

 

 

そして、今までなら筆が止まっていただろうと思う。

適当ないい訳をつけて、自分をごまかして。

そして「ああ、やっぱり駄目だった」と言って、勝手にフェードアウトしてただろう。

 

 

でも今日は、違った。

直ぐにきもちを切り替えている自分がいた。

「もう、正直に怖いことにビビッている自分を。弱さを書きだしてしまおう。」

 

何故動けたか。自分でも理解出来ない部分がある。

あるけれど、仮定はしておきたい。

 

それが「モノサシを思い出した」ということだ。

自分の事を、見てくれる人。良いなと言ってくれる人の為にブログを書くと決めた。

なら、それ以外の外野がいたとしても。(今はいないはずだが)

気にせず、思いをつづればいい。それだけなんだ。

 

と、思えたのが大きいのだろう。

 

まだまだ、100PV程度のブログではありますが。

書いた本人は小踊りする位には喜んでおります。

これからも、お暇な時に、ふらっと来てくれたら、何よりです。

 

では、今日はこのへんで。