お品書きは「僕のすき」

料理をレシピとして残すように。日々の思いを言葉に。

慣れをカガクする。

さて、昨日の続きです。

 

 

例えば「慣れ」を例に今日は考えてみたいと思います。

演劇の世界には「二日目には魔物が棲んでいる」と言う表現があります。

本番二日目の公演は、芝居の質が下がりやすいから気をつけろ。というものです。

言わばジンクスといわれる類のものです。


起こる理由は初日を終えた安心感から、緊張の糸が緩むこと。
また、舞台上での公演を体験したことで心に余裕が生まれること。

(お客様のいるいない。そして、劇場か稽古場か、それだけでかなり意識が違います。)

それらが、失敗を増やす要因になりやすい。という感じです。

 

 

では、どうやったら。これを回避できるのでしょうか?
僕は、慣れのメカニズムを理解すれば、説明と解決への糸口が見えると思っています。

 

まず。慣れとはどういうものかを定義したいと思います。

慣れとは。『記憶の蓄積が生む、行動や思考の自動化』
もしくは『無意識に残った記憶が引き起こす、価値観の歪み』
だと思っています。

 

例えば、こんな実験があります。
トイレのドアを、ドアノブがついてるけど、「引き戸」というドアを作ります。

そして、開けるまでにどれだけの時間がかかるか?という実験をしました。

この実験から、面白い結果が出ました。
大人になればなるほど、時間がかかったのです。

 

なぜ、こういう結果になったのか?
それは、私たちは『ドアノブがついているドア=押すか引くとあく』

そう、記憶しているからです。
その記憶が無意識化に残り、習慣という形になってしまいます。

そると、以外と気付くのに時間がかかってしまうのです。

いわゆる「常識に囚われる」という状態です。

 

そして、常識に囚われるとは、価値観の歪みそのものでもありあす。

例えば、一回嫌いになった相手の全てが憎く見えたりすることってありますよね。

本当にすべてが憎い人なんていない事は、頭では分かったとしても、納得がいかない。
これも、無意識化に「憎い」という情報が残ってしまっているから、起こる現象です。

 

そして、一度、無意識化に残ってしまったモノを完全に消すのは、至難の技です。

 

人は体験した事を記憶に残し、慣れていく様に出来ています。

残してきた蓄積が無くなると生活もままならなくなります。記憶喪失等がいい例です。

(ちなみに、いつでも新鮮な気持ちで演技出来る人は、特殊な才能か訓練をした人だけと思っていいのではないか?というのが僕の考えです。)

 

 

さて、ここまでの前提を踏まえて対策は三つあると思っています。

 

一つ目が。

気が緩むのは仕方がないと、ひらきなおることです。

風邪を引いただけで「俺は死ぬ。この世の終わりだ!!」
そう友達に言われたら、どう思いますか?

たかが、風邪位に何をおおげさな。と思いますよね?
実は慣れというのも、それと同じ類いのモノなんです。

 

なので、まず。二日目はそもそも、気が緩むものと諦めましょう。
必要以上に落ち込まない、焦らない。それが大事です。

 

 

二つ目は。
体を動かして、頭を空っぽにすることです。

 

人間の体は以外と不器用です。
実は、本気になると、一つのことにしか集中出来ない様に出来ています。
いわゆる、雑念を捨てる。とか、ゾーンに入るという言葉で表現される状態です。

それを作るのに一番簡単なのは、とにかく汗をかくことです。

思考が、心の余裕を感じることを、体を動かすという行為で思考の回路を上書きする。

それだけで、案外見えなくなったりします。


三つ目は。
残った記憶を意識的に消してしまう。

 

さっきの意見と矛盾する様に思うかもしれませんが、そうではありません。

これは、まだ推測の域ですが。
『今を生きる』とは、これをする事から始まるのではないか?と思っています。

一期一会。有り難い。感謝。一所懸命。
日本語には、様々な形で今を捉える言葉があります。

残ってしまった過去の記憶。習慣。それは、本当に無いかどうか。
考え直す時間と、そういうものがあるのなら、その考えを捨てようと努力する事でしか、慣れを脱する事は出来ないのではないだろうか。

と考えています。

つまり、最高のイメージはこういう事になります。

 

『なんでもない日、おめでとう。』