僕は、悪い孤独じゃないよ?
孤独である事を恐れずに。
孤立することだけ恐れていればいい。
only is not lonly
ほぼ日 糸井重里
現代人は、孤独を怖がる。
その孤独の根底は、そもそも払拭できるものなのか?
考えてみてほしいのです。
ネットが発達したこの世の中、繋がることがより安易になったからこそ、孤独の本質を思い出す必要があるのだと思う。
孤独とはそんなにも、忌み嫌う必要のあるものなのだろうか?
一人でいることを残念とか、コミュ障とみるのは何故なのか。
「私は皆と上手くやれる人ですよ。」という証明をする必要が何故あるのか。
僕には不思議でしょうがなかった。
しかし、最近見方が変わってきている。
それが、孤独と孤立を同質のものとみているのではないか?
ということだ。
今、書きあげた「一人でいたくない」
という気持ちの本質の大半が孤立を恐れて、回りと歩調を合わせる行動なのではないかと考えている。
同じ一人でいる行為でも。
孤独は、自分から望んで一人を選択している状態。
孤立とは、望んでいないのに、一人になっている状態。
を指している言葉と思うのだ。
(もちろん、孤独もすぎると孤立になりかねないものだが)
大事な事は。
孤独になることは悪い事ではないということだ。
むしろ、孤独こそが人の成長の肥料になると考えている。
孤独の中で、自分自身と向き合う時間。
その時間の長さと質が、人としての器を大きくする唯一の方法なのではないだろうか。
何より、忘れてしまいがちだが。
生きとし生けるもの全てが、本質的に孤独に生き、死んでいくもの。
自分を見失わない為にも。孤独と向き合い、愛する方法を身につける必要があるのではないだろうか。
才能を育む。
それ自体も、僕は孤独な作業と思う。
そろそろ、才能の話ももう一度書いてみようかと思う今日この頃です。