お品書きは「僕のすき」

料理をレシピとして残すように。日々の思いを言葉に。

日本対イラン。明暗を分けたのは考え方ではないか?

本気で忙しい日が続き。
ブログの優先順位を下げないといけなくなりつつある。
とても悔しいが、毎日更新から。
ほぼ毎日更新にせざるを得ないかもしれない。

さて、そんな報告はさておき。
今日はたまたま見た日本対イラン戦で思ったことをかいていく。

(後半終了間際から見始めたため、流れまでは分からない。あしからず。)

延長が始まり、少しして。
これは日本が点をいれるだろう。
と感じた。

理由は、両チームの戦い方から、そう感じるものがあった。
日本は果敢に攻め続けるプレイを続けているのだと思った。(後半と同じようにというイメージ)
一方のイランは、見ようによっては8バックとも見えるほど守備から入る戦法をとっていた。


これは、あくまで僕の考えだが。
日本のサッカーの方が見ていて気持ちが良かった。
そう感じた理由が勝敗を分けると思ったのだ。

日本はあくまで、自分達のスタイル、練習、監督、仲間を信じて戦う。その中でからゴールを狙う。
その姿勢が、何よりいいと感じた。

対してイランは。
相手のミスからカウンターに入るサッカーをしていた。
それが悪い訳ではない。
延長戦の疲れを戦術にいれ、相手のミスを誘うのも手段の一つだ。


しかし。
やはり、最後にものをいうのは。
普段通りのことをやる。
これにつきるのだと思う。
(僕は、イランがずっとこの、戦法で戦っていた訳ではないと思っている)

役者もそうだ。
本番だけ今までと違う演技をしても上手くいくことは、ごく稀なのだ。

練習は嘘をつかない。
それに、練習とは本番を想定してするものだ。
つまり。
本番で練習していない事をするというのは。
博打以外の何者でもない。
そう言っても過言ではないと考えている。


さらに、話のオチはゴール後へと続く。
僕は最後まで試合を見ていないが。
日本がもう一点いれて、試合に勝ったのではと思っている。

というのも、点をとられた後。
焦るあまりにイラン側のプレイが荒くなったからだ。
自分たちのサッカーとよく言うが。
普段の自分。らしさを忘れてしまったが最後。
視界も思考も狭くなり。
相手の思惑にどんどんとはまるようになっていく。
どんな、時でも余裕は持っていなければならないな。
と改めて感じた、一戦でした。

情熱大陸へと民族大移動を引き起こすヒント

リーダーとは、悩み多き孤高の存在だな。

実際にリーダーという立場を体験して思った。

 

 

誰よりも明確なヴィジョンを掲げ。

誰よりもワクワクし。

誰よりも行動をし続け。

誰よりもメンバーのフォローをする。

 

 

本当に大変で、でもその分のやりがいはあるポジションです。

そんなリーダーの悩みの中でも。

 

『メンバーの情熱をどうやって引きだすのか』

 

この悩みから解放されたいと思うリーダーは少なくないのではないか。

と僕は思う。

 

かくいう僕もその一人だったからだ。

 

今日は、僕が今までやっていたことが。

『効果が無い、もしくは情熱が持続しないことだったのか』

を書きだしつつ、その対策方法を書いていく。

 

 

このプロジェクトが成功すると如何に素晴らしいかを語る。

一見すると、やって当たり前のことに見える。

だからこそ気を付けなければならないことがある。

『一方的に話を進めてはいけない』

これを忘れないでほしい。

 

大事なのは、成功のビジョンをそれぞれがイメージ出来ることであって。

あなたが情熱的に話す姿を見せることではない。

(よほどのカリスマか、話術に長けていれば別だが)

 

では、どうすればいいのか。

ぜひメンバーに質問を投げかけてほしいのだ。

メンバー自身がプロジェクトに対して当事者意識を持つこと。

それが、情熱を持って貰う第一歩だからだ。

 

質問の方法は。

  • 成功したらどんな良い事が起こるか?
  • お客さんはどんな喜びを体験するのか?
  • 達成出来たら、自分はどう感じるのか?
  • どうして、このプロジェクト面白そうって思ってたの?

 

等など、具体的かつ、答える範囲が比較的絞られている方が良いと思います。

出来たら、相手の答えを復唱し、褒めてあげましょう。

そうすると、相手は「理解してくれた」と感じて、よりやる気を持ってくれることでしょう。

 

一回、情熱が伝わったと感じたらOK

意外と盲点な部分だと思います。

というのも。

確かに情熱が伝わりきっていれば、問題はないのですから。

それに、伝わったと感じたならば。

熱を伝える時間を別のことに回そうと考えるのがリーダーってものです。

 

確かに伝わりきっていれば問題は無い。

問題なのは。

 

きちんと全員が同じ熱量を持ち続けているのか?を確認しているかどうか。

 

という点だ。

鎖をひっぱったら弱い部分からちぎれるように。

チームというのも、一番弱い部分が情熱の水準になってしまいがちです。

一度伝わったとしても、定期的に情熱の量を確認してあげて下さい。

 

情熱は話し合うことでしか伝わらない

僕が今日一番伝えたい事はこれ。

方法論は話し合うことだけではないのだ。

むしろ、話すのは確認には向いてるが、伝えるのには不向きだと感じている。

 

では、何をすればいいのか。

とにかく、自分が情熱的に動いている様を見せ続けることだ。

(そして、その時に俺は情熱的だぜってアピールしないこと)

これだけで充分なのだ。

 

これに、テクニックを加えるなら。

小さなことでも成果がでたら逐一、メンバーに報告するといい。

成果が出ているんだという安心感や、

行動に対する誠意が伝わり、あなたの話に耳を傾けてくれる人が増えていくはずだ。

 

 

最後に、誰の言葉か忘れたが。

今リーダーに疲れた時に思い出すことにしている言葉を紹介したい。

 

人に従う人生を歩みたくなければ、リーダーたれ。

なぜ成功の母は失敗なのか?

「痛い目に好き好んで会いたい人は変人である。」

と言いきりたくなる位には、人は失敗を怖がる生き物だ。

 

しかし「失敗は成功の母」という。
なぜ、成功するために、失敗が必要なのか。

失敗なんてしないで成功をしたいものだけど。

そうはいかないものらしい。

 

そこで、今日は。

「失敗は何故必要か」をつらつらと書いていく。

 

 

失敗をすることで、得られるものは何か。

まずは思い当たるだけ書いてみることにした。

 

 

 

  • 成功の方向性が絞れる。
  • 同じ失敗をする確立が防げる。
  • 別の方法を試すことが出来る。
  • 度胸がつく。
  • (今、挑戦していることに)慣れてくる。
  • 勘が働くようになる。(これやると失敗しそうetc)
  • 「失敗するとどうなるか」の最悪の状況が想定できるようになる


こんなことが失敗から得られるものではないかと思う。

その中でも、僕は「慣れてくる」に注目した。

なぜならば。慣れとは視野が広がる事と同義だと感じたからだ。

つまり、失敗は「今やっていることを意識しないで出来るようになる」

その道筋、工程の一段階なのではと思う。

 

だから、失敗が成功をするためには、無くてはならない。

欠かせないものなんだ。と自分の中では落ち着いた。


少し、消化不良感があるけれど。

今日はここまで。

才能を育てる肥料

 
今日は、才能のことで新たな気付きがあった。
なのでそれを書き残していきたい。
 
野菜が、肥料でよりよく育つように。
才能にも、肥料があること、そしてその重要性を感じた。
 
 
自分自身、才能ってこういうものだ!
と気が付き。
 
自分には、こういう才能があるんだな。
と、ある程度の目星はついた。
 
俺の才能はここで生きるかも!
と、何に情熱を傾ければいいかも分かった。
 
 
 
でも。
 
どうもやる気が長続きしなというか。
「これが、俺の才能だ!」
そう思えたときほど、勢いが出せない自分がいた。
その理由の答えが、
才能を育てる為の肥料が足りてないのではないか?
というものだった。
 
 
では、何が才能の花を咲かせる肥料たりうるのか?
それは、心からワクワクすることであり。
いかにワクワクを持続できるかが、肥料になりうるのだと実感をした。
 
 
そして、肥料には作り方があるのだから、ワクワクも作りだせるはず。
という発想から作り方を考えている。
今日は、その肥料の作り方の初版を伝えたいと思う。
 
 
 

ワクワクの原材料 

自分が、好きなことを見つめ直すことで見つかる事が多い。

こんなことできたら面白いな。

こういうことが出来たらいいな。など。

 

考える時に大事にしてほしいことがあって。

出来るかどうかは考えないこと。
常識に囚われないこと。
子供の様に自由な発想を持とうとしてみること。

意識すると、ワクワクをみつけやすくなる。

 

 

 

ワクワクの育て方

 

俺、こんなの好きなんだよね。

と話をして理解をしめしてくれる人を探しましょう。

この人はそうめいかなという相手に会ったとき、
僕はいつも持ち歩いていた作品第1号(象を丸のみにしたボア)をみせることにしていた。
本当に思いの通じる人に会いたかったのだ。
でも、答えはいつも同じだった。「これは帽子ですね」
そうなるともうボアのことや原始林のこと、星のことなんか話す気になれない。
相手に合わせて、ブリッジの話やゴルフのこと、政治やネクタイの話をした。
すると大人は、君は話のわかる奴だといって喜ぶのだ。
 
サンテグジュペリ 星の王子様P9

 

大概はこうなることを覚悟して、焦らず探す事が肝心です。
しかし、同時に。
 
自分は一人だなんて思うなよ。
助けてくれる人が必ずいる。必ずだ!
良く探せ。
香月日輪 妖怪アパートの幽雅な日常7巻 P103
 

 

時間がかかるかもしれませんが、やる価値はある。
人がいない場合には、好きな本でも構ない。
 
やる気のパルスを共振させればいいのだ!
島本和彦 逆境ナイン 4巻P86
 

 

僕がワクワクを貰う作品を例に出すと。
機動戦士ガンダム鉄血のオルフェンズ
妖怪アパートの幽雅な日常
等から、ワクワクを補充しています。
 
 
 
 

ワクワクの保存の仕方


言葉に残すことが、まず重要。

出来れば書き出してたまに見返すことを勧める。
 
次に重要なのが、ワクワクしなくなっても慌てないということだ。
これは、人から聞いた話だが。
ワクワクすることに体が慣れないうちは、感情の高まりを体が勘違いして、平静を保とうとしだしてしまう。
感情の高まりを熱が出た、病気になったと誤診するらしい。
なので、最初のうちは、ワクワクが続かなくても、そんなもんだと割り切ることが重要。

ワクワクという肥料を簡単には見せない。
最初の育て方の延長になるが、ワクワクは否定の言葉に物凄く弱い。
否定の言葉に慣れるまでは、特定の人にしか見せない様にした方が無難だろう。
 
 
今日は、ここまで。
明日は僕が今どんなことにワクワクしてるか、書こうと思う。
 
 

 

スマホ依存がコミュ症を作るのか。コミュ症だからスマホ依存になるのか。

スマホ依存とコミュニケーションの苦手意識は比例するのではないか。

仕事帰りの電車の中で、ふと思う。

 

なぜ、そう思ったのか。

僕はコミュケーションの基本とは「観察すること」だと考えているからだ。

と気が付く。

 

現代人は、目の前にある対象物をじっと観察すること。

それさえままならないのじゃないか?

そう思うのも、スマホという道具の特性にある。

 

想像してみてほしい。

スマホを見ながら、おびえていたり、怖がったりしている人を。

そんな人見たことありますか?

あるとしても、レアなケースですよね。

 

何故そうなるかといえば。

スマホで見るのは、自分の好きなもの。

もしくは、暇つぶしで何も感じないもの。

それ以外をみることは少ないからではないかと考えている。

その質と方向性が、コミュニケーション能力の欠如を生んでいるはずなのだ。

 

というのも。

観察にはエネルギーが必要だからだ。

何故なら、相手との関係は絶えず変化するし、いつも良好とは限らないからだ。

(良好でも、舞い上がってアウトになる時だってある)

どんな時でも、自分を見失わずに観察を続ける。

言い換えれば「ビビらない」ことと、スマホへの依存は正反対のベクトルを向いてる。

 

じゃあ、スマホを全く使わない生活を遅らせればいいのか?

そんなことは到底出来る訳が無い。
スマホは生活の一部になってしまっている。

では、どうしたらいいのか。

 

答えはとてもシンプル。

目の前にいる人を大事してください。

恋人でも、家族でも、友人でも。誰でもいい。

あなたが、大事にしたい人を良く見てあげてください。

 

近道はなく、どろくさい積み重ねの中で少しずつ理解していくしかないものです。

僕自身も。まだまだ学びの最中です。

 

たまにはスマホを見ずに、ボーっと電車にいる人を観察してみてはいかがでししょうか?

 

最後に、タイトルに答えると。

僕はスマホ依存がコミュ症を作ると考えます。

というのも。

苦手意識から逃げ続けることが、コミュ症になる大きな要因と考えるからです。

その中でも、スマホという道具が最適な逃げ場になってしまっている。

本を読むほど集中力がいらないうえに。

刺激的なことばかりが、画面に溢れ返っている。

そんな場所がポケットの中にある。

しかも、刺激は次から次へと簡単に調べることが出来てしまう。

そんな輪の中から、自分で抜け出すことは容易ではないだろう。

AI時代に生き残る仕事とは?

人がAIに勝てる分野というものは存在するのだろうか?

すでに、計算や記憶、データ収集。

等様々な分野で人は、AIにコンピューターに勝てなくなっているのはご存じの通り。

 

これから、そのスピードが加速度的にあがっていくはずだ。

こういう記事を見た方も少なくないと思う。
 

では、どんな分野の仕事なら生き残れるのか?

孫子の兵法にもある通り『敵を知り、己を知れば百戦危うからず』

まずは、AIとは何か?を具体的にしていこうと思う。

 

まず、当たり前の事だが、AIはデータの集合体だ。

そのデータは、主に学習と推論に分かれる。(参考元は埋め込みサイト)
学習とは「知識をもとに,新しい結論を得ること」
推論とは「情報から将来使えそうな知識を見つけること」

そう定義されている。

www.ai-gakkai.or.jp

 

ここでは、詳細には触れず先に進む。
ぶっちゃけ、AIを説明出来るほどの学はない。

さて、連想を続けよう。
データを収集するのは、使う為だ。

つまり、目的の無いデータ収集はありえない。

仮にあったとしても、使うデータを支持する必要がある。

 

また、データが必ずしも正しいとは限らない。

人の気持ちに関するデータを正確に集めるのは難しいと思う。

状況に左右されすぎるからだ。
 
これらの連想から、僕なりの答えを出すと。
  • データ収集の目的を作ること。
  • 答えのない問題を考え推敲を重ねること。
 
この二つに集約されるのではないかと考えた。
もっと、単純な言い方をするならば。
 
『気持ちに寄り添う仕事』

これだけは、AIにとられることは無いだろう。

いや、この仕事をとられたが最後、人はAIに支配される様になるとすら思う。

理解出来ない相手がいるから、人間は人間らしさを保っていられるのだ。
 
 

さて、今日の記事の最後はタチコマの話で終わりにしたいと思う。

(知らない人は。是非攻殻機動隊を見て欲しい)
僕は、タチコマたちにゴーストは宿ったと思っている口です。
「気持ちに寄り添うことが人にしかできない」ことなのだとしたら。
彼らがした行為は、バトーや素子、仲間の為に身を挺して守るという決意からの行動だった。

その行為が人間的なもの。

魂を理解したから出来た行動だと感じてやまない。

 

では、また明日。

ネットの海は広大だ。

継続は力なり。

僕がブログを書きはじめてから、早3週間がたちました。

年末年始を挟んだこともあって怒濤のような3週間でした。

 

風邪を引いたり。
終電近くまで、仲間と語り合ったり。
一日中動き回っていたり。

 

中には、ほんとうに時間が無くて休んだ日もあった。
でも、毎日続けることをやめる気はない。

始めた理由とは別に、それだけのメリットと意味をブログというものに感じている。

それは、以下の3つに集約されている。

  • 継続という習慣を作る。
  • アウトプットのスピードをあげる。
  • 思考のスピードと精度を上げる。


一番の理由は継続の習慣を作りたいと思っていたこと。
なぜなら、この技術は大半の人が身に付けようとしない。

そういうものだと思っている。意外に思う。

重要性は理解していても、実際に身に付けようとする人は多くないというのが正しい気もするが。
ともあれ、人が気にしない技術を身に付けられたら差をつけられるのではないか?
という仮定を持ち始めたのが一番のきっかけです。
じゃあ、何を継続するかと考え続ける中。
これだ!と思ったのが、ブログでした。


ブログを継続して得られるメリットが自分にぴったりではないかと思った。
それが、二つ目のアウトプットの質とスピードをあげること。 

僕は、優柔不断でした。

ご飯何にしようとか、服は何を着ていこう。

なんて簡単なものから。

 

あの人と別れた方がいいかな。

転職するかなぁ。

なんて、重いものまで。

 

自分が何を選択したいのか。

それを言葉に出来るかどうか。

 

その力が欠如しいている。

とまでは言わないけれど、悩んでる時間がもったいないとは思っていた。

だから、アウトプット能力を高めたいと考えるようになった。

その時間が短くなればストレスも減るし、他のことに回す時間も増えるはずだ。
ブログを始めたし、そこを利用しようと考え実際にやってみている。
効果は上々。気持ちの切り替えも早くなったし、無駄な時間も減ってきた様に感じる。

 

さらに、毎日更新することと、読み手がいること。
この二つの要素が、思考のスピードと精度をあげるきっかけになり始めている。
毎日更新するという事は、毎日制限時間があるということになる。
つまり負荷をかけ続けることができるのだ。
そのお陰もあってか、始めた頃は、一記事に2時間近くかかっていたブログ更新も、1時間平均で終わるようになってきた。
さらに、読んでくれる人の存在が精度を高めようと考えるきっかけになっている。
読む人がいる以上、分かりやすく読む意味のあるブログを書こう。
そんな気持ちをもつようになった。

 

等など。

様々な恩恵を受けるようになってきた。

だから、当面ブログを書き続けることをやめるきはない。

ただ、みつけたいものはある。

それは、方向性だ。

 

それは、また別の機会に。